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そして桜の季節も過ぎて

2012/04/22 13:37

 

 

 

  あれやこれやで

 毎日が飛ぶように過ぎてゆきます。

 心浮き立つ桜の季節も過ぎて

 世の中はもうすぐゴールデンウィークなのですね。

 みなさま、いかがお過ごしですか。

 

 

 今年の桜は目に染みました。

 去年は胸の塞ぐ中、

 ライトアップされない桜を見ていたことを

 思うとなおさら。

 (寒い日だったのでコートですが

 これも季節外れ感でてしまいますねえ)

 

 新年度を育休中主婦として

 迎えている今年の春です。

 息子は3カ月を過ぎて

 かなり自己主張をする頑固な赤子に。

 

 家事などの用事を済ませたく

 抱っこから

 (床やベッドに)置くと

 真っ赤になって怒りますが

 隠れて様子をみていると(何をやっているんでしょう)

 オトナの姿が見えないときは

 定期的に「アーウー ブーブー」と怒りながらも

 「泣き」を休んでいる。

 戻るとフルボリュームになるわけですね。

 こんな小さいときから

 費用対効果というものを

 身につけているのだと感心(←親ばか)。

 

 かまってくれるひとがいない時の

 口をとがらせ、ふてた顔は

 齢3カ月にして

 2歳児ぐらいの

 駄々っ子を彷彿とさせます。

 

 

 ◇

 

 季節も温かくなり

 なんとなく育児もペースをつかめてきた

 と錯覚するこの頃。

 社会とのつながりを求めて

 外出を増やしている母ですが

 育休中でこれまでになく

 お世話になる機会の増えたのが

 行政のみなさま です。

 

 正直、取材以外で

 区のお世話になる機会といえば

 住民票を取りに行くときぐらいでしたが

 子育てしていると

 いきなり関わりが増えます。

 

 そもそも子供手当や

 医療費免除の申請はじめ

 予防接種に子育て相談など

 行政ものの行事が目白押し。

 わたしの住む区は

 子育て支援に力を入れているとされ

 (いまどき入れていない方が

 珍しいのではという話ですが)

 クーポンやら訪問事業やら

 赤ちゃん教室やら

 サービスもいろいろあるのですね。

 

 それらを職業的興味も兼ねて

 体験してみますと

 これまた現代日本社会

 考えさせられる

 場面が多々ある。

 

 などと思いながら

 一律「お母さん」と呼ばれることにも

 ぼちぼち始めた保育園探しで

 聞いてはいたけど

 再確認する

 耳を疑う実態にも

 他人の前で授乳することにも

 仕事していないことの

 気楽ではあるものの

 常に感じる寄る辺なさも

 ベビーカーでバスに乗る

 煩わしさにも

 未だに慣れない身ではありますが

 そうこうしながらも

 日々は流れていくのでした。

 

 ※つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

カテゴリ: マネー・経済  > アジア経済    フォルダ: 時代考。

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消費という名の偉大な快楽。

2012/03/27 10:43

 

 

  

  生後二ヶ月を過ぎて

  息子はアウアウ喋ったり

  あやされると笑ったり
 

  歌や楽器に反応するなど

  人としての

  コミュニケーションが

  とれるようになってきました。

  

  やみくもに泣いて

  寝るか母乳を飲むかしかしていなかった

  時期に比べると

  こちらもずいぶん

  気持ちが楽に。

 

  

  ※春がきた空。

 

  

  とりわけ

  ぐずったり泣いたりしているときにも

  私を目で捉えると

  ぱっと顔を輝かせて笑うのは

  これはもう感動に近い。

  親ばかですけどある種の至福です。

  

  顔をちらっと見せただけでも

  毎回これほど

  熱烈歓迎されるのは

  恋愛初期と乳児育児

  ぐらいではないかと思いますよ。

 

 

  ◇

   

  そうはいっても

  育児で何が〝大変〟なのか。

  やってみるまで分からなかった

  ことがけっこうあります。

  

 

  生後1~2カ月未満でいちばん

  わたしがきつかったのは

  外出できないこと でした。

 

  それは単純に赤子が小さすぎる  

  産後の身体がきつい・・・

  いうこともありますが

  息子は1月うまれ。

  真冬の厳寒と

  インフルエンザが猛威をふるっていたことが

  追い打ちをかけて

  さらに出られなかった。

  

  (※一カ月検診を終えて

  実家から東京の自宅へ戻ったのも

  ほぼ乗り物から乗り物への

  密室移動でした)

 

  食材の買い物は通販と

  週末の配偶者に任せて

  まずもって出る必要もなかったのですが

  泣き叫ぶ赤子とこもりっきりというのは

  なかなかにストレスフルなもの。 

  訪ねてきたひとや

  出勤する配偶者が出ていく姿を

  玄関で羨ましく見送ったものでした。

 

 

  生まれて間もない赤ちゃん育児は

  まずもって空き時間がなく

  (継続して寝ないので)

  落ち着いてパソコンを開くことなど

  できなかったため

  もっぱらスマートフォンによる

  アマゾン買いが心の友でした。

  けれども

  ネットショッピングは

  あくまでネットショッピング。

 

  出歩きたい。

  外の空気を存分に吸いたい。

  五感を使うリアル買い物がしたい。

  

 

  ようやく少しは寒さもゆるみ

  インフルエンザも下火と思われるころ。

  赤ちゃんをぐるぐる巻きにして

  ダウンを着込んで最寄りの

  セブンイレブンに行ったときは

  2カ月ぶりの買い物の

  あまりの楽しさにクラクラしました。

 

  買い物とはいっても

  コンビニで雑誌とおやつを

  買うぐらいだったのですが

  そのめくるめく刺激

  何を買うか決められずに

  抱っこひもに息子を入れたまま

  30分ちかく店内をウロウロ

  してしまいました。

  

  日本のお菓子にはなんとまあ

  知恵とアイデアが施され

  コンビニには

  かゆいところに手が届くように 

  さまざまのモノがそろっていることか。

  二カ月近くに及ぶ

  育児引きこもり生活の末

  初めてありありとその充実ぶりを

  思い知ったのでした。

 

 

  

  わたしはハッキリと確信しました。

  消費は偉大な快楽です。

  お金を使ってモノを手に入れる行為は

  人生のヨロコビです。

  それは単にモノを入手するということ以上に

  社会が人間が作り出したものに触れ   

  選び消費するという

 コミュニケーションの手段

 なのですよ。

  わたしはその社会との

  コミュニケーションに飢えていたのですねえ。

  

  シンプルな生活や

  物欲にとらわれない

  高尚な人生に憧れないでもないのですが

  わたしはもう自分が

  俗のカタマリであるということを

  全面的に認めます。

 

  

  寒さのなか、

  生まれてまもない赤ちゃんを連れて

  ガンガン外出するお母さんをみても  

  どうか

  「あんなに小さな子を連れて無理して

  出なくても・・」などと

  言わないでくださいませ。

 

  身軽に勝手きままに

  動けない身だからこそ

  買い物には

  買い物以上の意味があるのですから。

  

  

 

    

カテゴリ: マネー・経済  > 金融    フォルダ: 時代考。

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立ってご飯を食べる理由。

2012/03/14 12:32

 

 

 

 赤子の世話をしている間に

 春がきていました。

 あの震災から二度目の春。

 みなさま、いかがお過ごしですか。

 長い冬がようやく過ぎゆき(今年は長かった)

 暖かな陽のさすなか

 道すがらの梅の花など見ると

 心も浮き立ちますね。

 

 

 

 もっとサクサク

 ブログを更新するつもりでしたが

 まったく余裕のない日々を

 送っていました。

 生まれたての赤ちゃんの

 育児というのが、まあ

 こんなにも手のかかるものとは

 思ってもいませんでした。

 やってみるまで私は育児、

 なめきっていましたねえ。

 

 

 よく「赤ちゃんが生まれて自分の時間がない

 というフレーズを聞きますが

 以前のわたしはですね

 「自分の時間がない」とは

 ゆっくりメークする時間がないとか

 手の込んだ料理をする

 あるいはバーゲンに行く時間がないとか

 そういうレベルをぼんやり

 イメージしていたものでした。

 

 ところが、実際

 新生児期からカ月あまり

 が過ぎてわかったのが

  

 テーブルの上のちょっとした

 食べこぼしをささっと拭く時間とか

 土付きゴボウの皮をむく時間とか

 マンションの一階にゴミを出しに行く時間とかが

 (もはやこれらが自分の時間と

 呼べるかどうかもわかりませんが)

 ないんですね。

 

  

 それは、寝てるときと

 授乳のとき以外は

 息子が泣き叫んでいたから。

 そして、赤ちゃんの睡眠時間が

 超細切れだからに

 他ならないのですが。

 

 もう、赤子がわんわん泣いてると

 本能なのか何なのか

 居ても立ってもいられない気持ちになり

 他にひとのいない昼間などは

 立ってご飯を食べて

 すっ飛んでいくわけですよ。 

 

 これまで

 同僚や友人、取材先の方(いずれも男子)が

 「うちの嫁はほんと、

 子育てよくやってくれてるよ。

  子育ての方が仕事より大変だよ」

 と話すのを聞いたものです。

 

 これは、一種の奥さんに対する

 リップサービスというか

 奥さんを立てての発言なのか

 とばかり思ってきましたが

 まったくもって裏のない

 率直な感想だったのだ。

 ということを実感したのでした。

 

 

 ◇

 

 生後二カ月を迎えると

 息子も表情や反応が

 人間らしくなり

 一人遊びの時間も増え

 こちらを見てにっこりするようになり

 日々の暮らしも少しは

 落ち着きをみせてきました。

  

 新生児育児をしてみて

 しみじみ思ったのが

 これまでの人生で

 わたしは自分のためにしか

 時間を使ったことが

 なかったのだなあということ。

 

 進学も留学も仕事も趣味も

 恋愛も結婚も

 とにかくは自分のことです。

 

 しかし

 一人では生きていけないひとの

 面倒をみて初めて

 空気や水のように無自覚に

 ざぶざぶ使っていた

 自分の時間というものを

 意識したのでした。

 

 子育てって

 自分を捧げることだったのだなあと

 おもうこの頃。

 

 

 そして。

 

 

 日本のはたらくお父さまたち。

 本気で仕事が立て込んで

 帰られない日があるのは

 仕事しかしていなかった日々を

 送った身としては

 よーく分かりますが

 そんなものは毎日のはずがございません。

 

 せめて子供が小さいうちは

 「うちの嫁はよくやってくれてる」

 などと飲んでる時間があれば

 早くおうちに帰ってくださいませ。

 いま初めて、心から思いますよ。

 

 

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女の戦場。

2012/02/04 08:41

 

 

 ご無沙汰しています。

 日本列島を大寒波到来の折、

 いかがお過ごしでしょうか。

 大雪の影響の出ている

 各地域の方々に

 お見舞い申し上げます。

 

 

 ◇

 

 

 さて、年が明けてはやひと月。

 私事ですが

 1月4日に無事、男児を出産いたしました。

 おかげさまで母子ともに

 元気にしております。

 

 

 

 

 さて、この一カ月は

 なかなかに強烈な

 時間を過ごしました。

 

 女子ならばさんざん

 痛いだの大変だのと

 噂には聞く出産ですが

 陣痛→分娩→我が子との対面→産後の脱力感

 と経てみて

 まず思いましたのが

 

 「出産は女の戦場だ」

 

 ということです。

 安産だったとはいえ

 10時間あまりの陣痛は 

 その動物的すさまじさに

 なんというか

 「とにかくこの時間を終えたい」一心。 

 

 産めばこの苦しみが終わると

 思うあまりに

 カンガルーケア(生まれたばかりの

 赤ちゃんをじかにお母さんの

 胸に乗せる母子初のご対面)

 で我が子を見ても

 ドラマや出産本のような

 感動の嵐とはほど遠く

 「そうか、このための作業だったのでしたね」

 と、ぼんやりしてしまう有様。

 

 そしてつくづく思いましたのが

 歴史的に

 軍隊や兵器を率いる戦争を

 すなるのが主に男子で

 女子が戦争を好まないのは当然だ、

 ということです。

 

 というのも、自然分娩だろうが

 帝王切開だろうが無痛分娩だろうが

 文字通り身を二つに割って

 これほどエネルギーを使って

 ひとりひとり

 人間をこの世に

 送り出しているのですから

 大量に効率的に

 人を殺める方の戦争なんて 

  産む産まないは関係なく

 恐らく本能的に

 割に合わないことこの上ないわけですよ。

 

 

 少し早くに出産した友人が

 「産院は野戦病院みたい」と

 話していましたが

 流血しつつ点滴を引きずって歩く

 母たちが行き交う中

 遠吠えのような

 陣痛を耐える声が聞こえる

 入院病棟にいると

 これもまた言い得て妙と

 思わせられたのでした。

 

 

 

 そして 

 意思表示が主に泣くことという

 新生児の我が子を抱くと

 可愛いのはもちろんですが

 失うものができた

 怖さの方が

 わたしには鮮烈でした。

 

 

  ◇

 

 

  そしてその後つづく

  ときに何かの試練のような

  眠れない新生児育児の

  ただ中にあります。

  この場で書きたいことも

  いろいろなのですが

  長くなりますので、きょうはご報告まで。

 

  最後にひとつ、

  あれほどインパクトとダメージを食らった

  心身解体されるような出産ですが

  一カ月を過ぎてみると

  なんと

 

  「もしかしてもう一度

  やれないこともないかもしれない」

  などと、すでに

  のど元過ぎれば熱さを忘れつつ

  あるのでした。

  

  こうして人類は繁殖を続けてきたのでしょう。

  

  それではまた。

  寒さ厳しい中ですが

  元気にお過ごしくださいませ。

 

 

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新しい年に。

2012/01/03 11:39

 

 

 いよいよ2012年のスタートですね。

 いろんなことがリセットせざるを得ない

 局面に来たような

 2011年も兎に角は過ぎ

 今年はどんな一年でしょうか。

 

 

 信じて心に描いたことは

 実現すると思っています。

 今年もいろんなことが

 あるでしょうけれど

 明るく強い気持ちを持ち続けて

 一日いちにちを大切に

 生きたいですね。

 

 

 

 

 などと余裕でブログを書いたりしていますが

 予定日の元旦を過ぎ

 お腹の子はただ今のところ

 まだ、お腹におります!

 自分のペースで

 歩むつもりのようですので

 そのあたり、

 なるようになると覚悟する次第ですよ。

 

 

 少子高齢化社会観察・考察の

 あれこれと

 ライフワークの

 男子女子論を継続しつつ

 新たな世界の広がりに

 ドキドキしたいと思います。

 

 みなさまのよりよい一年を 

 お祈り申し上げます。

 

 

 それではまた!

 

 

 

  

カテゴリ: マネー・経済  > アジア経済    フォルダ: 母国

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幸せの〝スペック〟について。

2011/12/15 09:49

 

 

 

 おはようございます。

 めっきり寒くなりました。

 

 ことしの漢字が

 「絆」に決まったというニュースが

 ありましたね。

 そういう気分は

 実際にあるのだろうけれど

 「絆・消費」「絆・商戦」

 「今年のクリスマス・売れ筋は絆」という

 ふうに乱用されると

 なんとなく安易に感じて

 「実際のところ、どうよ」

 という気持ちになってしまう

 天の邪鬼な今年の師走です。

 

 というのも、一つのキーワードで

 時代やモノゴトをくくりたがるのは

 マスメディアの性分。

 さんざん自分も

 それでご飯を食べてきたからに

 他ならないのですが。

 

  

 

 

 ところで先週、今週と

 友人知人の結婚披露宴が相次ぎます。

 (出産のため里帰り中の私は

 涙を呑んで失礼させていただいます・・)

 

 何かと慌ただしい師走の式について

 「いろんなことがあった2011年中にー」

 という話を聞くと

 やっぱり今年は日本人にとって

 忘れられない年に

 なったのだと思います。 

  

 あれだけの人が亡くなり

 まちが破壊され

 電気が消えて

 ありふれた日常のはかなさを

 思わずにいられなかった今年。

 そして原発事故による

 エネルギー問題の見直しは

 成長経済そのものに

 疑問を抱かせることになりました。

 

 一個人に立ち戻って

 これからの人生に

 思い及んだとき

 「自分にとって

 ほんとうの幸せってなんだろう」

 考えたひとは少なくないのでは

 ないでしょうか。

 

 

 ◇

 

 

 かつて

 勝ち組」「負け組という言葉を

 我々マスメディアは濫用しましたが

 震災以降は

 以前ほど見かけません。

 (おふざけ的には使うけど)

 これは個人的には

 そもそも「気分じゃなくなった」

 というのが大きいですが

 もう少しいうと

 当時の「勝ち負けの基準」

 本格的に吹っ飛んでしまった

 ということがあるのではないかと思います。

 

 勉強して〝いい大学〟に入って

 〝一流企業〟に勤めて

 結婚して家庭をもち

 マイホームをローンで買い

 子供を2人ぐらい育てながら

 さらにその子供も

 〝いい大学〟に入れて

 安定した生活を用意しつつ

 老後資金を貯めるー。

 

 という行動により

 「幸せ」が保障されていた時代は

 震災前から

 終わっていたことでしょう。

 

 そしていまや

 JALも東電もオリンパスもああいう状態で

 日本経済が右肩下がりで

 「一流企業」とは何か。

 大学全入時代、慢性的な就職超氷河期で

 「いい大学」ってなんだ。

 結婚が当たり前でない時代

 子供をもつことが当たり前でない時代 

 国民年金制度が

 破綻している時代に

 「家族」「老後」が同じ姿であるはずもない。

 

 

 既存の価値観が揺らぐ

 さなかに

 大震災が起きて

 それまで抱いていた日常の

 「不満」や「閉塞感」すら

 贅沢だったのかもしれないという

 ところまで行き着き

 何か価値観のリセットのようなものが

 多かれ少なかれ

 起きたのではないでしょうか。

 

 

 かくいうわたしも

  「そもそも、何が勝ちで

 何が負けなんだ。というか

 勝ち続けるってあるのか」

 という根源的なところから

 仕切り直しの気持ちになりました。

 

 

 ◇

 

 

 日本が好景気に沸いた

 バブリーな時代前後の語録をひもときますと

 「高身長」「高収入」「高学歴」が

 女子たちの結婚相手に望む条件・・・と

 いう逸話がありますね。

 これはもう、あからさまに

 分かりやすく単純化され

 その単純さゆえに話題になったのでしょう。

 

 ただ、 

 これを今言う20代、30代を

 わたしはまず見たことがありません。

 むしろ

 「仕事があって借金がなくて

 DVとかない、まともな人ならいい」(女子)

 「子育てに協力的で

 共働きできるなら

 収入は自分より少なくてもかまわない」(女子)

 「いまから子供もてる年齢なら

  けっこう年が離れていても気にしない」(男子)

 というざっくりした意見は決して珍しくない。

 

 「高収入、高学歴・・」のような

 相手に求める

 スペック(性能)が

 変わった、という見方もあるでしょうが

 私が思いますのは

 そもそも幸せになるための

 スペック集め

 にあまり意味がなくなったのではないか・・・

  ということです。

 

 

  誰もが納得して

  自慢できるスペック集めの前提には

  誰もに通用する

  共通の価値観が前提ですが

  そんなものがそもそも

  非常に曖昧で

  よくわからなくなっている。

 

 

  「高学歴」「仕事」

  「趣味」「広い人脈」

  「結婚」「子供」「マイホーム」

  「出世」「貯金」・・・といった人生〝スペック〟の数々。

  何かをもっていれば幸せで

  もっていないほど不幸という

  単純構図が信じられるほど

  お気楽でないというか。

 

  

  となると、

  食べていく仕事と

  大切に思える誰かが

  (家族でなくても人間でなくても)

  一人でもいればいいぐらいの

  ミニマムな部分さえ押さえていれば

  あとはもう、人それぞれであるような。

 

   

  というのも、

  わたし自身が

 「幸せの条件とは何か」

  ものすごく求めてきたタイプなのですが

  何を手に入れたところで

  悩みや問題はつきものであるわけです。

  

  

  スペック集めに

  躍起になればなるほど

  なんとな~く

  疲れていた自分を振り返った

  2011年だったのでした。

 

 

  ※予定日前倒しでなければ

    おそらく、つづく。

  

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ニッポンの「老人偏差値」

2011/12/04 09:29

 

 

 

   

 寒さが大の苦手の私ですが

  実は雪国生まれです。

  そして今年の冬は

  この厳寒の地で過ごすという

  高校卒業以来の

  異例の事態を迎えています。

 

  なぜならば、里帰り出産を選んでしまったから。

 

  話せば長くなりますので

  詳細は割愛。

  いくつかの事情が重なってこうしました

 

  ところで

  前にこのブログでも書いた気がしますが

  雪国生まれだからこそ冬が苦手。

  という人は少なくないと思います。

  というのも

  雪国に「白銀の世界、レジャー、

 日本昔話のような

 ニッポンの冬」

  といったロマンを抱いているのは

 

  雪の降らない地域で

  育ったひとが圧倒的多数で

 

  雪国に暮らすひとにとって

  雪というのは  

  たいていの場合、

  黙々と堪え忍ぶか

  立ち向かうべき

  生活の重荷に他ならないからです。

  

 (と、冬嫌いのわたしは思っている)

 

  マタニティブルーなのか 

  雪国鬱が入っているのか

  暗くて寒くて湿度の高い故郷のまちを

  重たいお腹を抱えて歩いていると

  けっこう、テンションが下がります。

  そしてそんな低い気分に加え

  ひしひしと感じるのが

  加速する地方の高齢化です

 

  

  かつて繁華街だった

  市の中心部は完璧に空洞化し

  シャッター街と成り果てている。

  若者や子育て世代は

  大型駐車場を備えた

  郊外のショッピングモールに持って行かれ

  高校時代に愛用した喫茶店や

  洋服屋さんのあったアーケード街はガラガラです。

  子供の頃に眺めるのを楽しみにしていた

  洋菓子店のショーウィンドウは

  品数が閉店セールのような寂しさ。

  まちの映画館も当然、閉館。

 

  かつての繁華街を歩くのは

  仕事をしておらず

  車の運転もしない高齢者が

  圧倒的に多いのでした。

  当然、そんな商店街の後を継ぐ

  若者も少なく

  お店のひとも高齢化。

  

  車の運転がただいまできない私は

  運転してくれる人のいない

  ウィークデイは

  市バス利用者ですが

  通っている産婦人科のある

  市の中心部に向かうバスの

  平均年齢はもの凄く高く

  30代の私ごときでは

  下げようがありません。

  

  

  さらには

  高齢者割引パスを持っている

  おじいさんおばあさんにも

  バスの乗車順番を譲られるという

  うっかりぶり。

 

 大きなお腹を見て気遣ってくださる

  田舎のひとの優しさとはいえ

  「これでよいのか?」と

  自問自答するきょうこの頃です。

 

 

  都会における

  見ず知らずの人には

  できるだけ関わらない態度

  すっかり慣れきっているわたしは

  突然話しかけてくるお年寄りに

  ぎょっとしたり

 

  ぼんやりしているせいで

  うっかり席や順番を譲られたりと 

  ボケボケしているのですが

  ふと、気づいたことがあります。

 

  それは…

  

  「わたしから見て

  十分なお年寄りでもひょっとして

  この土地ではさほどお年寄りではないのでは?」

  ということです。

   

  つまりですね。

  平均年齢75歳のバスにおいて

  65歳の人は比較的若く

  「老人偏差値」は低いわけですよ。

  というかむしろ

  お年寄りではないわけですよ。

  

  ですから

  「そんな!臨月妊婦とはいえ

   お年寄りに順番を譲られるとは!!」と

  衝撃を受けたわたしですが

  その譲ってくださった方にしてみれば

  「お年寄り感覚」

  あまりなかったのかもしれない、という。

  

  高齢化の進む地方都市で

  50歳はぴちぴちで

  60歳もまだまだ働き手。

  70歳でようやく年が締まってきて

  80歳でお年寄り 

  90歳でようやく敬老に値する…というような

 (以上、イメージトークですが) 

  偏差値分布になっているのでは?

  と、思いをめぐらせてしまったわけです。 

 

  思えば60代の母も

  80代、90代の高齢者の介護施設

  月に何度かは傾聴のボランティアに

  行っています。

  子供の頃には

  62歳女性なんておばあちゃんだと

  思っていたのに。

 

  老々介護の時代

  地方過疎化の時代

  さらに進む世界一の高齢社会ニッポンの  

  超高齢化。

 

 いまでこそ人ごとのように

  語っている私ですが

  地方で起こっていることは

  人口減少でやがて都市部にも起こります。

 

  私が60代、70代になったころ

 (どこに住んでいるかは不明ですが)

  日本の高齢化率は40%超と推計されています

  恐らく70歳ぐらいの

  老人偏差値はさらに下がり

  まだお年寄り扱い

  敬老待遇はしてもらえないのでは…と

  漠然と思います。

 

  その頃に「お年寄り」の概念は

  今とは全然、

  別物になっているのかもしれません。

 

 

 

 

  などということを

  曇天の雪国で考える

  今年の師走です。  

  

 

  

 

 

  

  

  

  

  

 

  

   

    

 

 

 

  

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大人になるのが遅い国。

2011/12/01 12:16

 

 

 

 じわじわ年末が近づいていますね。

 そろそろ慌ただしい師走気分が

 盛り上がる頃でしょうか。

 ニッポンの忘年会シーズンが

 恋しい産休ライフのこの頃です。。

 

 妊婦生活でもっとも

 おもしろいことの一つに

 胎動というものがあります。

 お腹の子が

 大きく大きくなってきたこの頃では

 何というか、エイリアン一匹

 お腹に飼っているようなもの。

 

 母体の食後は血糖値が上がるためか

 ハイテンションになるらしく

 決まってうねうねぼこぼこと

 全身運動が始まり

 少し気持ちが悪くなるほどですよ。

 

 さらに、夜中にふと目が覚めると

 (妊婦はよく目覚める。)

 お腹の子は夜中でも 

 一人で活動しているらしく

 お腹にかかとがぐぐーっと

 浮き上がっていたりします。

 (これをおもしろがってつかむと、素早く引っ込む)。

 

   わたしが

 横向きに寝ると

 胎内が部分的に狭くなるのか

 ボコボコボコっと

 素早い蹴りを入れてくるのも

 何かしらの自己主張を感じるこの頃です。

 

 

 さらに、妊婦検診では衣服を

 まくり上げてお腹を出して

 医師のエコーなど受ける訳ですが

 ひんやりした超音波の機器があたると

 なにかしら違和感があるのか

 「これを蹴落とせ!」

 ばかりに

 キックや全身運動が始まり

 激しく動き出すのでした。

 

 

 

  ※思えばこれも10日前のおなかで

 さらにわたしは巨大化。

 

 ◇

 

 

 ところでそんな年末

 周囲の30代でばたばたと結婚ラッシュです。

 12月に結婚式が2件

 11月で結婚報告が4件

 おめでた報告も合わせると

 さらにあって

 ライフイベント目白押しの30代を実感しますよ。

 

 思えば20代後半に

 第一の結婚ラッシュがありました。

 やたら披露宴が続き

 「さいきん、ご祝儀貧乏だよ~」

 「こっちも結婚して元とらないと~」

 などとベタな会話を繰り広げたものでした。

 やはり30歳目前に男女ともに

 一つの区切りを迎えるのでしょうか。

 

 

 そしてただいま30代前半から

 (同級生は今年、33~34歳)

 ちょい上の30代後半世代が

 だだーっと第二の結婚ラッシュ

 とくに女性は男性よりも

 出産年齢のリミットが早いため

 子供をもつことを考えるのであれば

 決断の時期といえましょう。

 その辺りにこだわらないのであれば

 別に、結婚はいつでもよい

 と、思うのですが。

 

 

 という話を最近

 50代前半女性(既婚・子供は高校生・兼業主婦)

 の方としていましたら

 「今の40歳って、昔の30歳ぐらいの感覚よね」と

 言われ、なるほどと思うと同時に

 「かつての30歳ってそんなにオトナな年齢だったのか」

 と、少しギョッとしました。

 

 よく、現代人の自覚年齢は「実年齢8がけ」

 などと言われますが

 今や40歳で結婚や初産て、何も

 珍しいことでもなくなりましたね。

 (とくに都会。故郷の北陸などでは

 まだけっこう珍しいかも)

 

 いまの40歳=かつての30歳過ぎ

 かどうかは

 さておいても

 ライフイベントのいろいろを

 執り行う覚悟を決める年齢

 じりじりと遅くなっているのは

 間違いないでしょう。

 

 

 そう思うと

 今の日本は大人になるのが

 遅い国であるよと思います。

 

  

 「大人になる」とは

 まあ、いろいろな定義があると思いますが

 法律的な成人の20歳はとは別に

 現実的に考えると

 決断をする

 ということではないかと、最近は考えます。

 

 この決断を迫る世間の声

 めっぽう小さくなっているため

 わたしたちは

 決断をする=オトナになる

 ことを急ぐ必要はなくなった。

 

 決断をする、というのは

 何を取り

 何を手放すかを

 決めるコトであると思いますが

 それが

 「もう、いい加減決めねば」と

 自分が思うまでしなくてもよくなったのが

 現代日本であるような。

 

 

 などと、

 やっぱり自分としても

 30代で産むということになった

 (20代という選択肢は

 とにかく当時はなかったなあ・・)

 お腹をさすりながら

 考えるこの頃でした。

 

 

 

 

 

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産休女子とリタイア男性。

2011/11/11 10:23

 

 

 めっきり寒くなってきましたね。

 体調など崩されていませんか。

 世はTPP参加表明で揺れていますね。

 わたしは明確にTPP参加賛成派ですので

 コメ、酪農などの一部農家は別として

 (こちらは所得補償が必要)

 反対派のさまざまな

 「もしこうなったら・・」的な

 想像力たくましい反論にひるまず

 決断してほしいと思います。

 

 が、10月ぎりぎりまで議論を盛り上げなかった

 政府のやり方は、

 根回しが圧倒的に

 足りないのは間違いなく

 うまくはないなあ、と思います。

 

 ◇

 

 そんな中(?)

 わたしは妊娠9カ月に入り

 ばっちり産休を頂いております。

 「産休に入ったらやりたいことリスト」に従い

 

 区役所で主に育児関連の質問

 日頃会えない友人との会合

 保育園見学、

 保険、住宅ローン関連の調べ物

 徹底的な家の掃除

 配偶者のお弁当づくり

 ママ先輩からのレクチャー

 新生児関連の買い物

 その前段としてのいらないモノ処分

 日頃できない分野の勉強・・・などを

 片っ端から決行したのでした。

 

 が

 何事もやり過ぎてしまう私の常として

 身重の身体が疲れてしまい

 お腹の張りが激しくなり

 「このままでは早産の危険ふたたび」

 の診断となり

 厳しく安静を言われてしまうという

 ペース配分のできなさ

 (↑ 本当に欠点)を

 露呈してしまったのでした。

 

 

 最近はどうにか

 落ち着いてきてですね

 ゆったり過ごすことにも

 慣れてきたのですが

 それでも思いますのが

 「社会に属する限り消費だけでは

 人間は空しいのだなあ」

 ということです。

 人間は社会から安全や居場所や

 物通や福祉やもろもろ

 サービスを享受する以上

 労働や勉学やボランティアや子育てなど

 何かを提供する作業をすべきだし

 して初めてバランスを、保てているのですね。

 

 となりますと

 産休はやがて子育て期や

 子育て&労働期に

 突入することが前提とはいえ

 ただいまの期間は

 「元気だけど働いていないオトナ」

 という立ち位置が

 ヒマというか中途半端というか

 落ち着かなさを感じてしまう

 小人物な私なのでした。

 

 では、専業主婦のみなさまはどうなのか。

 と思いあたり

 専業主婦である友人やうちの母などに

 聞いてみますと

 これが結構、忙しいのです。

 

 まず20代、30代は子育てに奔走。

 幼稚園の送り迎え、乳飲み子の世話、

 サッカーや水泳や英会話やお受験クラスなど

 習い事の送り迎え、子供の病院など

 予定がびっしり。

 子育て終了後の主婦も

 高齢者介護や地域子育て

 点字などのボランティア

 ヨガや絵画、音楽、勉強などの習い事 

 高齢の親の訪問など慌ただしい。

 

 「今はお腹の子を育てるのが仕事なんだから」 

 と、配偶者はじめ

 周囲には言われるのですが

 しかも産休といえば

 有給なわけですが

 習い事やボランティア始めるにも

 中途半端な今、

 こうなると暇なのは産休妊婦ぐらいでは・・・

 という気にもなってくるのでした。

 まあ、家事も極めれば

 もっといろいろいろいろやれるのでしょうけど。

 

 そんな中、

 産休妊婦になってみて初めて

 「その気持ち、分かるかも・・・」と

 思いましたのが街中に散見される

 リタイア男性層ですね。

 スタバやオーガニック系カフェではなく

 サンマルクやドトールといった

 国内系チェーンのカフェ

 なんとなく所在なげに

 夕方の時間をつぶしているのが

 退職後とみられる60代男性です。

 

 わりと身ぎれいで

 どこかまだ「●●会社の●●」といった

 肩書きを着ているような

 空気をまとい

 「時間のある自分」に居心地が悪そう。

 仕事一筋で40年近くを費やしてきた

 となると、趣味でつぶせる時間も

 たかが知れていますし

 家事も恐らく奥様やご家族が担って

 いらっしゃるケースがほとんどでしょうから

 本当にぽつねんとした感じが漂うのでした。

 

 そのうちご隠居生活にも慣れて

 退職後の自分の生活を

 築き上げて行くのだとは思うのですが

 第二の職場を終えてもまだ60代などの

 元サラリーマン男性が

 いつまでも所属や名刺にこだわるのは

 収入ももちろんですが

 「社会の居場所」

 を切実に求めているからではないか。

 と、考えるこの頃なのでした。

 

 (※この点、農家や商家、お寺つまり 

 自営業で一生働ける仕事があるのは

 本当にすばらしいと思います)

 

 主に家庭や地域分野を担ってきた

 女性は前述のように

 「会社以外の生活」を充実させています。

 家事労働は一生続きますし

 子育てなどにより

 地域コミュニティとの

 コミュニケーションやつながりを

 長年かけて築いている。

 仕事ばっかりで家庭や地域を

 省みなかった世代の男性の寂しさを

 共有することはなかなか、難しいでしょう。

 

 

 一方。

 現役世代はだんだんと

 仕事一辺倒ではなく

 子育てや地域社会貢献、

 趣味やボランティアなど

 職場以外の生活を大切にする人々が

 増えていますが、

 これは 何も家族や周囲にとってだけでなく

 自分自身にとって本当に良いことだと思われる。

 

 こうして

 若年世代はライフスタイルのシフト

 すでに直面していますが

 どっぷり会社人生活を送ってきた層は

 (それでよしとされてきた層は)

 ではどうすれば良いのか。

 やはり、一生続けられる仕事

 地域での子育てや介護など

 地域コミュニティへの参加といった

 「なんらかの社会への提供」。

 つまり消費だけに終わらない

 社会とのギブ&テイクの

 ギブ部分を積極的に行うことではないかと思います。

 

 かつての日本には

 地域コミュニティというものがしっかりと存在し

 近所の子供をみるですとか

 地域の互助会に参加するですとか

 近所のひとの相談にのるですとか

 自給自足生活を送るですとか

 「リタイア後の役割」というものが

 あったのでしょうが。。

 

 

 「育休後の仕事と子育ての両立」に

 キリキリしている世代としては

 リタイア後で時間と体力に余裕のある

 オトナが(しかも少子化で孫が少ない)

 散見されるのであれば

 この辺の需要と供給に

 (すでに取り組んでいる自治体もありますがまだ一部)

 なにかもう一つ

 開拓の余地があるのでは・・・と思うのでした。

 

 

 

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つづくよ働く女子と出産問題。

2011/11/01 10:38

 

 

 11月のスタートは

 いいお天気ですね。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。

 

 お腹の子はおかげさまで

 すくすくと成長しております。

 お腹もどんどんどんどんせり出して

 床のモノを拾う

 足の爪を切るが

 尋常ではないぐらい困難になりつつあります。

 

 

 ※大好きなガーベラ。Kちゃん、ありがとう。

 (あ、薔薇も好きです)

 

 まだ顔も見たことのない赤ちゃんは

 お腹の中にいる限り移動の

 必要もないと思われるのですが

 「なにをそんなに動くのか?」

 というぐらい激しく運動することがままある。

 お腹が自動洗濯機ぐらい振動するときなど

 「何を訴えているの?」と

 困惑するばかりです。

 

 同じ場所(胎内)にいて30分ぐらい

 動きっぱなしって・・。

 ジムや部活でもやっていない限り

 普通に生活している大人でも

 なくないですか?

 

 ◇

 

 などと、順調な妊婦っぷりを

 思わせる書き出しにしてみましたが

 「仕事と出産子育て問題」は

 まだまだ継続しています。 

  

 明らかに出産後は、

 今までどおりの仕事の仕方

 (必要とあればいくらでも残業。

  呼ばれたらすぐ出る、行く。

  忙しい時期はまさに寝に帰るだけ)

 は当面、できないと思われる。

 

 子を授かるのは

 嬉しいことですが、一方で

 「出産・子育ては戦力外通告なのか??」

 というモヤモヤした気持ちに

 とらわれてしまった・・・というお話の続きです。

 (※詳細は前回を参考くださいませ)

 

 これは現代日本で

 仕事を続けたい女性は

 多かれ少なかれ、誰しも通る道ですね。

 そして未だに

 『ロールモデルがいない、少ない』という

 声があがる。

 核家族化が当たり前の現代では

 結婚後も親と同居で

 子供をみてもらう・・というケースも

 まれになっていますので、なおさら

 「仕事と子育てどうやって両立するのか??」

 という問題が漠然と立ちはだかるわけですね。

 

 

 私自身、これといった

 正解 があるわけでもなく

 これから実践的に観察・体感していくことに

 なるわけですが

 ちょっと吹っ切れたことには

 いくつかの「考え方の転換」がありまして

 一つは

 とある会社の先輩(男性)に

 

 「子育てに1年、2年忙殺されても焦るな。

 想定外続きの子育てや

 子育てしながらの仕事は

 別の筋肉が鍛えられる。

 それは仕事で必ず役立つ」

 

 と言われたことがあります。

 「これまでどおりに働く」ことばかりに

 こだわっていると

 とてつもなくお金がかかるか

 ほぼ子育てを人に任せるか

 超人的に働くか

 といった苦しい選択肢しかありません。

 ただ、「これまでと違った働き方を受け入れる。

 そのメリットを生かす」という

 発想ができれば、どうにかなる気がしてくるのでした。

 (わりかしどうにかなる、と思いやすい性格でもある)

 

 子育てと仕事の両立が困難と感じたときに

 ①仕事を辞める

 ②お金で解決する 

 ③仕事の仕方を変える 

 ④周囲に助けを求める

 

 といった方法が考えられますが

 人口減少社会で

 増える高齢者の年金制度を支える

 働き手(=納税者)の減少や

 経済成長の低迷が

 深刻化する中、①をみんなが選択することは

 あまり得策ではない。

 

 そもそも、夫の賃金だけで

 子供を2人、3人と育てられる

 家庭ばかりではないでしょう。

 

 ②も世帯を選ぶのは明らか。

 となると

 ③か④を考えたい。

 そもそも私は

 自分の食い扶持を自分で稼ぐ、ということは

 単に経済的問題ではなく

 人間の尊厳や自立の問題でもある

 と考えるタイプです。

 選択肢としての専業主婦は

 もちろん否定しませんが

 (母も主婦でしたし)

 働きたいひとは働き続けられる

 社会であるべきでしょう。

 

 ③、④を実施する中で

 もっとも社会や職場に求められるのは

 「復帰可能な環境」だと思います。

 そして、こうした社会へのシフトは

 女性だけの問題ではないでしょう。

 少子高齢社会で多くの人にとって 

 親の介護は他人事ではありません。

 一人っ子夫婦(2人)の肩には

 4人の親が乗るわけです。

 

 出産や子育て、介護や病気

 あるいは勉強、留学でもいい。 

 仕事の仕方を変えたり、

 一時的に休んだり

 しなくてはならないひとに対し

 寛容でリカバリー可能な社会は

 悪い話ではないはずです。

 

  

 

 ◇

 

 ところで、現代日本は

 それほどまでに

 仕事と子育ての両立が

 難しい国なのか?

 

 妊婦となった私が

 そういったアンテナで世の中を

 眺めてみますと

 これまた、いろいろ見えてきたのでした。

 

 

 

 ※一時、書きかけをアップしてしまいました。

 失礼いたしました!

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

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